実りの季節、秋風が穂を揺らし、酒蔵のまわりは黄金色のさざ波と穂の打ち鳴らす音色におおわれます。
酒は水と米から醸されるもの。蔵人は刈り取ったばかりの米を蔵に迎え入れます。米は毎年毎年その性質が異なるため、注意深くその年の米の姿を見極めます。
自然から与えられた米と水を迎え入れるとき、蔵人は祈ります。旨い酒ができますように、無事に造りができますように、と。そして、今年も酒を造れる喜びを神に感謝します。
この“祈り”が酒造りの第一歩となります。
麹とは米に麹菌を繁殖させたものです。麹に生えている麹菌が造り出す酵素がお米を糖化します。 天狗舞の麹は、全て手造り。微生物の麹菌と対話をするかのように、麹造りは行われます。
酒造りの基本は古くから「一、麹 二、?(酒母) 三、造り(もろみ)」と言われています。この言葉の一番はじめに「麹」がくるように、麹づくりは酒造りにおいて、非常に重要な作業です。高温多湿の麹室の中で、上半身裸の男たちが一粒一粒の米に麹菌を繁殖させるため、根気強く丁寧に米を揉みほぐします。麹菌が繁殖し始めると、米は熱を帯びます。その様子をうかがいながら麹室内の温度と湿度を調整します。麹づくりには、計算式や方程式がある訳ではありません。頼りになるのは、蔵人たちの勘と感性です。麹面と呼ぶように、麹には表情があります。その面構えをじっと見つめ、香りを確かめながら、仲仕事や仕舞仕事、出麹の時を決定します。確認するというよりも、感じるといったほうがニュアンスは近いかもしれません。蔵人は、自らの五感を駆使して麹づくりを行います。このように、酒の味を決定づけるといっても過言ではない麹づくりは、蔵人の“感じようとする力”と“感じようとする愛情”が鍵を握っています。
麹づくりを経て酒母づくりへ。力強い活き活きした酵母を育てるため、弊蔵では自然界の力を借りた山廃(山卸し廃止)仕込という手法を用いています。
酵母の性質は育て方で決まります。整いすぎた環境では素直な酵母はできても力強さに欠けます。自然界の多くの洗礼を受けてはじめて酵母に本来の力がみなぎります。かい棒をふるい、重い暖気樽を操る蔵人は思いを馳せます。
物言わぬ微生物との対話の中で、たくましさとふくよかさを備えた酒の姿を思い描くこと約一ヶ月、ようやく“酒の母”となります。
育ちゆく醪野の息づかいは、やがてはっきりと蔵人の耳に届きはじめます。
醪の温度は機械的に調整するのではありません。醪の声を聞き、醪の状貌を見つめるのです。時には暖め、時には冷やし、常に気を配り続けます。
その間約一ヶ月。蔵人たちは根気強く、きびしい視線と穏やかなまなざしで精一杯の愛情を注ぎます。そして、蔵人の誠意と愛情を受けとめ、それに応えるかのように、醪は魂を宿しながら、酒へと姿を変えてゆきます。
上槽(酒を搾ること)することにより、醪は酒と酒粕に分かれます。
最高酒に用いられる袋吊りは、力を加えず、醪自身の重みにまかせゆっくりと“選ばれし酒”を搾り出す手法です。数ヶ月にわたって精米から仕込み、そして発酵の長い道のりをたどってきた酒米は、こうして一滴ずつ酒に生まれ変わります。この酒が生まれる瞬間、蔵人の胸には様々な思いが去来します。その思いを押さえつつ、蔵人は淡々と仕事を続けます。
しかし一滴、一滴、酒の生まれる音色が静寂の蔵の中にかすかに響き渡る時、蔵人は直立不動のまま、飽くことなくその酒を愛で、胸を熱くします。
どれだけ科学や文明の利器を駆使しても、自然の力と時間の流れだけには勝てないという自明の理は、酒造りにおいても同じです。持てる力のすべてを出し尽くした蔵人は、最後に自然と時間の流れに酒を委ねます。
酒は静寂の蔵の中で熟成し、出荷される日を待ちます。酒が眠って数ヶ月後、蔵では酒の熟成を確かめるために“呑切り”という作業を行います。品質を確かめられた酒は更に眠りにつきます。酒はやがて、ゆっくりとまろみを帯び、馥郁とした香りをまといます。
眠りから覚めたとき、ようやく“天狗舞”となります。